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9月 08 2015

大槌町及び南三陸町に行ってまいりました。

※今日の記事は,業務とはまったく関係ありません。予めご了承をお願いいたします<(_ _)>

 

 

昨日は臨時のお休みをいただき,9月6日と7日に東北地方の三陸海岸の自治体に復興支援のお手伝いのために行って参りました。

 

先の記事にも書いておりますが,国や自治体,また私が所属する司法書士会等の公的なところの主催ではなく,知り合いの社長さんが個人でこれまでにも何度か東北各地で炊き出しを行っているもので,第1回開催時は現参議院議員のアントニオ猪木さん,今回はラッツ&スターのクワマンこと桑野信義さんも参加されていたようです

今回の炊き出しは,クラウドファインディングのマクアケを利用し,皆さんからの資金援助はあったもののそれでも数百万円単位で持ち出しているそうで,少しでも助けになればと思い足手まといにならないようお手伝いに行ってまいりました。

 

 

岩手県大槌町


社長さんたちは,8/25に名古屋から東北へ向けて出発し,福島県の南相馬市から炊き出しをスタートされていましたが,私が参加させていただいたのは9/6の岩手県大槌町からでした。

大槌町と言えば,町長さんを始め,課長職以上の方が全員津波で犠牲になってしまい,町として機能不全になってしまったこと及び津波が引いた後のビルの上に船が止まっているという映像が衝撃的でした。

 

【地震】民宿の上の観光船解体へ 岩手・大槌町(Youtube)

 

今回,私が参加させていただいたのは,大槌町内各地に設けられた仮設住宅団地のうち「小鎚第8仮設団地」というところでした。

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↑ 小鎚第8仮設団地

 

 

当日の炊き出しの様子はこちら 

 

こちらの自治会長さんにお話を伺ったところ,このような仮設住宅の団地が全部で48か所あり,少しずつ入居されている方は減ってきているものの,それでも当面の目標であった震災から5年で全員が仮設住宅から卒業するというのは極めて難しい状況にあるそうです。  この「5年」というのは,阪神大震災における仮設住宅を最後に退去された方が5年だったこと及び各自治体が5年を一応の区切りとの方針を定めたことによります。

 

すでに,震災から4年半,恐らく入居が遅い方でも丸4年はお住まいになっていると思いますが,移り住もうにも移る場所がないため現状を打開するのはかなり難しいようです。

 

その他,伺ってみて初めて知ったことをいくつか記載いたします。

 

(1)このような炊き出しについては,否定的な自治体(役所)も多い。

無料で支援してもらうことに慣れてしまう住民の方も多くなってしまい今後の生活の自立に支障が出るから,とのことでした。ただ,中には無料はダメだけど100円など少額でも良いので料金をもらってもらえれば大丈夫という自治体もあるそうです。

 

(2)実は,震災の直前である3/3に大槌町では大規模な避難訓練をしていた。

2011年に限らず,毎年3/3に避難訓練をしているそうです。というのは,昭和8年3月3日に起きた昭和三陸大地震でもこちらの地方には大津波が来ており,それを忘れないようにということで毎年3/3に避難訓練をしているようです。 この時のことを自治会長さんに伺うと,訓練をしたのは土や瓦礫に埋まってしまった人たちを助けるためスコップなどを使って助け出す訓練だったそうで,「逃げる」というのは無かったようです。

この地方には,昔から地震が来たら「とにかく逃げろ。そして何があっても戻るな。」という言い伝えがあるようで,自治会長さんも着の身着のまま高台にある幼稚園に逃げて難を逃れたそうです。自治会長さん曰く,スコップで掘り出せるような訓練なんてある意味パフォーマンスであり,純粋に「ただただ髙いところへ逃げる」ということをもっと強く行っておくべきだったと後悔されていました。

この教訓は,近い将来必ず起こると言われている東南海大地震に備えて,静岡県,愛知県,三重県など太平洋沿岸部にお住まいの方は心に刻んでおくべき言葉だと思います。

 

(3)1~2メートル底上げして,そこにまた建物などを立てる予定。

現在,国や県が主導して,もとの町に盛り土をして底上げし,そこに再び家を建てる計画があるそうです。もちろん,盛り土以外にも堤防を高くするなどの対処もするそうですが,堤防を高くすることによって,逆に津波が来ていることに気付きにくくなると懸念されていました。何より,1~2メートルだけ底上げしてどうにかなるとも思えず,地元住民の多くの方が家を建てるにしても高台が良いと思われているそうですが,国や県が主導しているのでなかなか話が進まないというようなことを仰っていました。 

 

メディアで得る情報より多くの,かつ,深いお話が聞け,やはり現地に行ってみなければ何もわからないものだと再認識しました。

その後,旧大槌町役場や線路が流されてしまい今は使われていない駅,その線路沿いに建っていた昭和8年の地震の際の碑などを見学し,宮城県へ向かいました。

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↑ 旧大槌町役場庁舎。短針が無いので時間はわかりませんが,津波が到達したとされる(15時)20分で長針は止まっています。

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↑ 途中の線路が流されてしまい今はもう使われていない吉里吉里駅

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↑ 線路が流されてしまった橋(吉里吉里駅の隣の浪板海岸駅から撮影)

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↑ 昭和8年の地震の際の碑

 

 

 

陸前高田~気仙沼


翌日の炊き出し会場である,宮城県南三陸町に向かう道中,陸前高田市及び気仙沼市を訪ねました。

陸前高田市と言えば,大津波が来る中唯一倒壊せずに耐えた「奇跡の一本松」が有名になりました。

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↑ 奇跡の一本松を気仙川対岸から撮影

これだけ聞くと良い話なのですが,地元の方からお話を伺うと,津波が来た時に津波で押し流された大量の松によって家族の命や自宅が失われたために一本松を見て思い出してしまうという方も多くいらっしゃるようで,保存することについての賛否が分かれているようです。なお,多額の費用をかけて一本松を保存する理由の一つとして一本松を見に来る観光客を誘致するため,というのがあったようですが,日曜日にもかかわらず私が訪ねた際にはあまり観光客はいなかったように思います。

 

また,その一本松の近くにあるガソリンスタンドの看板にこのような記載がありました。

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「津波推移15.1M」

5階建てのビルと同じ高さです。想像しただけでも体が震えます。

 

また,気仙沼市では復興屋台村に行きました。芸能人がたくさん来られているようでたくさんの写真とサイン色紙がありましたが,今は寂れているように感じました。実際に,日曜日であったにもかかわらずお客さんがまったくおらず,お店も半分以上が閉まっていました・・・。

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南三陸町


南三陸町では,「志津川中学校グラウンド仮設住宅」に伺いました。文字通り中学校のグラウンドの一部に作られた仮設住宅団地です。

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↑ 学校の校舎側からグラウンドを撮影

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↑ 仮設住宅から学校の校舎を撮影

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↑ 集会所内にある全国各地からの手紙

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↑ この写真は高台に建っている中学校から海側を撮影したものですが,津波はこの高さの半分くらいまで来たそうです。

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↑ 少し角度は違いますが,震災前の写真です。

 

この日は月曜日だったため,お越しになった方は年配の方と就学前のお子さんたちでしたが,皆さん美味しく召し上がられており,中には何杯もおかわり&持ち帰りまでされる方が続出で大盛況でした。

 

当日の炊き出しの様子はこちら
また,お子さんの年齢を聞くと4歳。震災が起こったのは4年前。つまり,生まれた時からの記憶がずっと仮設住宅ということになるんですが,そのようなことを感じさせない元気いっぱいな笑顔に一緒に暮らしている年配の方も救われているようです。

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↑ こちらは「みっちゃん」というとっても可愛い女の子なんですが,誕生日を尋ねても「個人情報だから教えなーい」と言われてしまったので,個人情報が漏れないよう「いないいないばぁ」の「いないいない」のところを激写した写真を載せておきます(笑)

 

その後,最後まで避難を呼びかけ,庁舎に残っていた職員30名のうち20名が亡くなった防災庁舎を訪ねました。

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手を合わせ,線香をあげさせていただきました。

 

 

帰りに寄ったお土産屋の店員さんが仰っていましたが,たくさん観光客の人が来てくれるけど,人によっては「もう大分復興したね」という方もいれば,「まだまだこれからだね」という方もいるようで,訪れる方によって復興への印象の度合いが違うそうです。ただ,正直なところ,現在の南三陸町を見て「大分復興したね」と思う方は100人中5人もいないと思います。

 

ちなみに,炊き出しに使うキャベツが少し足りなかったので,近くのお店に買いに行ったのですが,近くにはそもそもお店自体がなく,最終的にキャベツに辿り着いたのは探し出してから45分,走行距離にして15キロ,4件目のお店でした。名古屋市内にいれば,キャベツを買いたいと思ったら車で5分圏内のどこかのお店で買えると思います。そのような当たり前に思っていることができない状況なわけですから,到底復興したとは言えないでしょう。

 

すでに震災から4年以上が経ち,3/11のような区切りの日は別として,それ以外はほとんど報道されなくなってしまいました。しかし,現地を訪ねると,依然復興までの道は長いことを感じさせます。

 

今回は,たまたま知り合いの社長さんが企画された炊き出しに私は乗っけてもらっただけに過ぎませんが,今後も震災を忘れることの無いよう,また,震災を教訓として生きていけるよう今後も東北地方を訪ねたいと思います。


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